医薬品を販売する薬剤師自身の手で作るという制度が昔からあります。
このような医薬品は薬局製造販売医薬品(薬局製剤)と呼ばれています。
漢方薬局をご存知でしょうか。
相談を受けて、体に合った漢方薬を作ってもらう薬局です。
漢方薬が一番よく知られている薬局製造販売医薬品だと思います。
薬局製造販売医薬品には漢方薬以外にも西洋薬もあり、商品としては300種類以上あります。
薬局製造販売医薬品は法的にもよく分かりにくい位置づけになっています。
下図のように、分類上、医療用医薬品でも一般用医薬品でもない特殊な医薬品です。
保管方法は薬局医薬品として(最近は規制が緩くなり店頭に陳列が出来るようになりました)、販売方法は一般医薬品として販売されます。
どのように作っているの?
薬局製造販売医薬品の作り方は厚生労働省発行の薬局製造販売医薬品指針に規定されています。
ただ、薬局製造販売医薬品指針には「〇〇剤の製法により製する」などとアバウトな作り方しか記載されていません。
技術が必要な製剤もあるため、書籍や諸先輩方のアドバイス等をもとに工夫をして作っています。
作った後は、その医薬品に有効成分がきちんと入っているか確認するために確認試験という試験を行っています。
ちなみに、当店で販売している医薬品の確認試験はすべて第三者である兵庫県薬剤師会会営の検査センター様に委託しています。
薬局製造販売医薬品(薬局製造販売医薬品)の歴史
お客様が薬局製造販売医薬品をみたとき、いわゆる「調剤」に見えたり、怪しい商品に見えたりすると思います。
おそらく上記のように複雑な制度や仕組みや単に知られていないことによるものかと思います。
そして、その理由は今日の薬局製造販売医薬品を取り巻く制度が非常に複雑に形成されたためであると私は思います。
そこで、薬局製造販売医薬品とは何なのかということを歴史を簡単に紹介することで説明します。
歴史を遡って明治時代。
それまでは、何が薬剤師の仕事なのか、もっと言うと薬の仕事って何なのか明確に規定されていませんでした。
我が国で薬剤師や薬局が初めて詳細に定義されたのは明治22年3月15日の「薬品営業並薬品取扱規則(いわゆる「薬律」)」です。
第1条には「薬剤師トハ薬局ヲ開設シ医師ノ処方箋ニ拠リ薬剤ヲ調合スル者ヲ云フ薬剤師ハ薬品ノ製造及販売ヲ為スコトヲ得」と書かれています。
この薬律をもって、薬局は薬品(当時の概念では医療用医薬品にあたる)を製造して販売することができることが明記されました。当時、この法律をもとに薬剤師は何の規制もなく薬品を製造することが出来たようです。
さて、薬律が施行された当時、薬剤師達は調剤を行えませんでした。
薬剤師が少なすぎて医師は処方箋が発行できなかったのです。
当時の薬局には調剤室はあるもの使われていなかったようです。
そこで、それを打開する方法として複数の医薬品を混合して販売する「混合販売」を行うようになりました。
これが、現在の複数の医薬品を混ぜて作る薬局製造販売医薬品の基礎になっています。
ところが、混合販売は外見上、調剤と同じようなものです。
当然のことながら、当時の医師らと利害対立することとなります。
一応、当時の行政府は混合販売を適法と判断していましたが、医師側からの無処方調剤の疑いの訴えにより裁判沙汰となりました。
最高裁までの係争の結果、混合販売は違法となりました。
大正6年のことです。
混合販売が行えなくなった当時の薬剤師達ですが、急に辞めろと言われてもそう簡単に諦める訳にもいきません。
そこで、薬律とは別の法律である「売薬法」に活路を見出します。
つまり、出来上がった薬品を混ぜれば違法なら、逆に、混ぜたものを売薬(今でいう一般用医薬品のようなもの)として許可を得て売れば良いという発想の転換です。
こうして作られる薬は「薬局売薬」と呼ばれていました。
ここで、薬局製造販売医薬品の前身たる薬局売薬は、薬局医薬品でありながら、一般用医薬品の性質も帯びてきます。
ただ、異常な事態となってきます。
日本各地の薬局が独自の医薬品の許可を申請することで、莫大な売薬が生まれることとなりました。
当時、販売された「薬局売薬」は数十万種類あったと言われています。
当時の役人達も面倒だっただろうと思います。
その後、法律が変わることとなります。
売薬法と薬律は廃止され薬事法に統合されました。
この統合によって「薬局売薬」は消えることとなりました。
その代わりに生まれたのが公定処方というものです。
薬局ごとに大量に許可をとられていた状況から、45種類の公に決められたものを製造するというルールにスッキリした形で変更されました。
この公定45処方から処方の数が増え、いくつかの制度の変更があり現状のシステムに至ります。
さて、ちょうどこの時代に転機が訪れます。
太平洋戦争の敗戦です。
敗戦後、戦後GHQによる強力な医薬分業の外圧です。
すぐに制度変更にはならなかったものの、その理念が残り、昭和後期に至る政策により薬局が調剤をできるようになってきました。
もともと薬局製造販売医薬品は歴史的に調剤ができない代替として生まれたものです。
調剤が出来ればその存在価値も消えてしまい、薬剤師側の役目を終えていきました。
また、一般用医薬品が普及し、一般消費者側としても薬局製造販売医薬品の必要性も低くなってきました。
そして薬局製造販売医薬品はもはや一部の漢方薬局にしか居場所がなくなりました。
そうして多くの人、薬剤師でさえそういった医薬品があることを忘れていくようになりました。
時は流れて、2014年の薬事法改正によってネット販売が解禁となりました。
楽天市場らが裁判で勝ち取りました。
町の薬局では価値が低いものでも全国なら意味のある商品はいくつかあります。
今後、薬局製造販売医薬品がある程度の公衆衛生上の意義を見出せる環境にはなって来つつあると思います。